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ヴァイオリンを買う時、鑑定書・証明書類は本当に必要なの?・その5

ヴァイオリンを買う時、鑑定書・証明書は本当に必要なの?

前回からの続きで、ヴァイオリン(弦楽器類)の証明書・鑑定書についてのお話の第5回目になります。

製作者本人以外によって書かれた証明書・鑑定書類 についての続きです

鑑定士前回のブログをご覧になられた方は、なおさらそれだからこそ、名門楽器商、本を編纂しているような製作者、ディーラの証明書が付いてなければ信用できないとか、そういった人たちに証明書を書いてもらおうと思われたかもしれません。
しかし、私の言いたいのはそのようなことではありません。

どんなに、歴史のある楽器商でも、本を編纂しているような人でも、ミスジャッジは起こり得ます。
先のブログでも書いたように、鑑定のベースは、これまで見てきたということや扱ってきたという経験を基に判断しているだけだからです。
鑑定書や証明書に明確な科学的、歴史的根拠や鑑定の筋道が示されているわけではありません。ですから、「私の意見では誰それの作だと思う」と言われてもその根拠や筋道を検証することはできず、ただそれに対しては「そうですか」としか言いようがない、反論のしようが無いだけなのです。

また、書いている人間は、商売人どうしなので、利害が一致する者同士では、お互いの鑑定内容についてケチをつけないような暗黙のルールがあります。また商売上売りにくいものについて、鑑定書を付けて売るというようなこともあるでしょう。

実際に、あるイギリスの名門楽器商の鑑定書ですが、私の目から見ても明らかににおかしい、絶対に鑑定内容は間違っていると思えるものがありました。それが果たしてミスジャッジなのか、大人の事情で、無理な内容でも書かざるを得なかったのかは私にはわかりません。ただ、鑑定内容はほぼ間違いなく違うということだけは明らかなのです。

利害が一致する相手に対してはたとえ鑑定内容がおかしくても文句はつけないでしょうが、敵対する相手の鑑定結果については、たとえそれが適切、妥当なものであっても、認めない、難癖をつけるというような可能性はあります。

ですから、鑑定書、証明書は内容にかかわらず、それを誰に見せるかによっても、評価は大きく変わってきてしまう可能性があるのです。

ですから、鑑定書の有無や、誰が書いたものかにこだわってみても、あまり意味は無いということなのです。
ましてや、鑑定書が無いからといってお金を払ってまで書いてもらう必要などありません。
実際に良くわからない楽器に対しては、たとえ証明書を書いたとしても、「北イタリア地方の1800-1850年ごろの作品」のようなことだったり、「誰それスクールの作品」のような内容しか書きません。その程度のことだったら、わざわざお金を払って証明書を書いてもらわなくても、ある程度楽器を見ている人ならわかるようなことでしょう。そのような証明書は楽器に対する自信の無さを証明しているように見えてかえって印象が悪くなるのではないでしょうか。
逆に楽器をちょっと知っている人ならすぐわかるというような、その製作家の典型的な作風の楽器に証明書が付いていなかったというような場合、これもわ
ざわざ「鑑定」していただかなくても私は良いと思います。
名門ディーラーや著名書籍編纂者ならずとも、普通の楽器商、楽器職人でもすぐにわかるような、わかり易い楽器に対してまで、高い鑑定料を払って紙を付けなくても良いでしょう。だって、そういうケースでは鑑定する側にとっては凄い楽な仕事なわけなのですから・・・

名手によって使い継がれてきた歴史的な銘器に、名門ディーラーの鑑定書が付けられていたというような古き良き時代とは近年は随分と違ってきてしまっています。
今は商売人の事情で、売りにくい偽物、駄作にこそ鑑定書が必要と考えられている時代なのです。
鑑定書とは、何とかしてイタリア製の楽器にならないか、何とかして有名な製作者として売れないかという、つまり、何とかして高く楽器が売れないだろうかという商売人の切なる願いをかなえるツールでもあるのです。皆さんはそれに乗っかってはいけません。

結局、鑑定書、証明書などあろうとなかろうと、銘器は銘器、良い音の楽器は、良い音の楽器なのであって、たとえ鑑定書などがあったとしても、偽物は偽物、駄作は駄作なのです。そして、どの楽器も誰かが作った“本物”であることには間違いないのです。
決して鑑定書、証明書に惑わされないように、踊らされないようににしてください。大事なのは眼の前の楽器に向き合うことです。

次回に続きます

 

 

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