チェリビダッケの音楽と素顔
フリードリヒ・エーデルマン著 中村行宏 / 石原良也 訳
アルファベータ ISBN 978-4-87198-565-9
チェリビダッケはフルオーケストラを用いて、かの有名な伝説のピアニッシモを創出した。彼はそのために弦楽器奏者の人数を減らすことなどは決してしなかった。
「一人より二人で弾く方が柔らかになるんだ」が彼の口癖だった。矛盾するようだが、しかしそれは真実である。チェリビダッケによると、一人で演奏すれば大きな音で弾かなければならないが、二人で弾けば深くまろやかな音になり、お互いの音を聴き合うことであたかも一人で演奏しているかのように聴こえるのだ。そしてこの方法のために弦楽器全体が増員された。
チェリビダッケは音の質や美しさを損なうことなく、極めて柔らかくかつダイナミックな、しかもまろやかで深い響きを創り出すことができた。
これはこの本からの引用ですが、昔FM放送から流れてきたチェリビダッケ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団の演奏(たぶん、プロコフィエフのロメオとジュリエット組曲だったと思う)が流れてきたときに、オーケストラの響きの素晴らしさに驚嘆したことを今日のことのように思い出しました。
チェリビダッケというと一回の公演に対してのリハーサル日数の多さ、15分もかかる独特のチューニング法。また、気に入らないことがあるとすぐに公演を中止したり、二度とその団体を振らなかったりというようなキャンセル癖などから、奇人、傲慢、独裁者のようなイメージが強いのですが、この本を読むとそれはすべて芸術のため、彼の理想の実現のために、決して妥協を許さなかっただけであって、楽員に対して冷淡であったり、私利私欲のためではなかったことがよくわかります。自分自身の報酬を上げることを要求するよりは、ミュンヘンフィルハーモニー全額団員の報酬を充分に増額するようにミュンヘン市に働きかけ、さらに首席管楽器奏者たちに上乗せするよう努力したといいます。
この本を著したのは、チェリビダッケと17年間を共にしたミュンヘンフィルハーモニーの首席ファゴット奏者ですので、彼の証言はチェリビダッケの真実を証明するにあたって間違いのないものだと思います。
チェリビダッケのもとで長年演奏していて感心したのは、彼は常に音や構造を聴くことに対する新たな方法を発見し、これら新しい観点から我々楽団員に指摘するのだが、これに全員が魅了されてしまうことだった。
たいがいの場合、オーケストラと指揮者というのはある意味、敵対関係にあることが多いと思います。そして、プロの楽団員に受けが良い指揮者というと、リハーサル時間が短い指揮者だったり、楽団員を締め上げない優しい人だったりと・・・。要は団員にとっての良い指揮者というのは音楽や演奏の本質からはずれて、楽ができる指揮者だったりすることが少なくないと思います。
ところが、チェリビダッケの場合は量的にも質的にも徹底的なリハーサルを仕込まれながら、楽団員は皆充実した気持ちになっているのですから、アマチュアの楽団ならまだしも、プロの楽団としては極めて稀な状況なのではないかと思います。
チェリビダッケは傲慢な人ではなく、広範な知識を音楽に奉仕するために活用しようと常に試みていた。
彼の指揮を十七年間受けた私の経験からは、彼は自分勝手がしたいわけでも、莫大な報酬や名声を得たいわけでもなく、その音楽上の理想のために働き、その理想を実現すること、音楽活動の究極の感性と統合に到達することに魅せられていたのである。
知識やテクニック等、能力が図抜けていることは指揮者として必須だと思いますが、人としてのスケールの大きさ、音楽に対する情熱に魅了されて初めて、或る意味一匹狼的な性格の強いプロ音楽家集団がこの人について行こうと思えるのではないでしょうか。
カリスマとして恐れられていたチェリビダッケですが、この本から意外な側面を見ることができました。