OVCL 00195
堀正文 清水和音 デユオ
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番
フランク:ヴァイオリン・ソナタ
ヴァイオリン:堀 正文 ピアノ:清水和音
録音:2005年2月
堀正文のことは今さら私がご紹介するまでもなく、皆様すでによくご存知ことでしょう。日本を代表するオーケストラNHK交響楽団の元ソロ・コンサートマスターであり、桐朋学園大学の弦楽器主任教授として、演奏にそして後進の指導にと今まさに脂の乗り切ったヴァイオリニストのひとりと言えるでしょう。
しかし、意外なことに録音は少なく、これが初めてのソロCDとのこと。これまでの歴代のN響のコンマス、海野義雄、徳永二男などに比べると極端に録音が少ないことに驚かされます。
堀は1949年生まれ、京都堀川高校の音楽科(現在の京都市立音楽高等学校)を卒業後、ドイツのフライブルク音大で名教師ウォルフガンク・マルシュナーに学びます。そして同校卒業後1974年にダルムシュタット歌劇場のコンサートマスターに就任します。1979年、N響にコンサートマスターとして入団し、ソロ・コンサートマスターを務めました。
堀正文というと、ドイツでの演奏活動が長いイメージでしたが、N響がもう23年にもなるのですね。それにしても、23年もの間、日本を代表する名オーケストラのコンマスとして演奏をし続けることは相当のご苦労があったのではないかと思います。
BS等のN響の放送を通じて見る堀の弾き方は実に正統的。右手のしなやかさが特に印象的です。そして、いつも楽器を微妙に動かして常に適切なアインザッツ(合図)を各パートに送っているのが見て取れます。こういうコンマスだと、たとえ変な指揮者が来たとしても団員は相当弾きやすいのではないでしょうか。棒を見ずにコンマスを見ていれば安心できるからです。
実際、アシュケナージが指揮棒を手に刺してしまい、後半のプログラムを指揮できなくなってしまったときに、堀が弾き振りをして完璧な演奏をこなしたことは有名な話ですね。それも古典派の小編成の曲ではなく、チャイコフスキーの交響曲第4番だったのですから、ポピュラーな曲とは言え、全体を統率するのは並大抵のことではなかったと思います。
さて、その堀の演奏ですが、一言で言えば、実に折り目正しい演奏と言えるのではないかと思います。音符の長さ、アーティキュレーションが明快なのです。
そして音色もクリアで余計なものが全くまとわりついていません。堀のヴァイオリンの音を聴くと、普通のヴァイオリンの音が実に不純物(奏者の勝手な思い入れ)に満ちたものなのかがわかるでしょう。ですから、一曲目のモーツァルトはまさにすっきりとした清々しい演奏と言えます。2楽章の美しさは特筆に値します。
次のフランクは、いわゆる浮遊感を感じさせる演奏ではなく、ここでも折り目の正しい、そしてどこか曲の中身、構造が見えるような透明感を感じさせる演奏になっています。
それは先日BSクラシック倶楽部で視聴したアモイヤルの演奏とはまさに対極的と言えるのではないでしょうか。
堀の演奏はフランクのソナタにおいても、音符の長さを大きく変えて自由に弾いたりはしていません。一方、アモイヤルの演奏は、私には正直申しまして浮遊感を通り越して千鳥足と言えなくもないのではと思える箇所が多々ありました。音符の長さが不正確すぎて、聴いている方に音型、音楽の構造が正確に伝わってこなかったように思います。
堀の演奏は恣意的な解釈を廃し、まずは音符の長さを正確に表現することで、曲の構造を明らかにしようとしているのではないかと思います。だからと言ってもちろん無味乾燥な機械的な演奏というわけではなく十分に曲の良さを楽しめるものとなっています。
堀はオケのコンマスとして、そして教育者として自由に弾くことと自分に酔っているだけの演奏は違うのだということをこのCDで示してくれているのではないでしょうか。
第2楽章の終わりなど、普通は感情的になり、我を忘れてひたすら突っ走って終わるみたいな演奏になりがちなのですが、堀の演奏には過度な煽りは見受けられません。コンマスとして常にオケ全体を見渡して演奏しているように、ソロにおいても、作品全体を見渡して、きちんとバランスを取った上でのアッチェレランドを計算しているに違いありません。
録音は、ピアノの包み込むように柔らかい低音とヴァイオリンの高音の伸びが素晴らしくバランスの良く取れたものになっています。ヴァイオリンはやや近めですが、きつさは全く無く、堀の滑らかなボーイングを堪能できます。この清涼感ある高域は、堀の芸風にまさにぴったりと言えるのではないでしょうか。