楽器の修理、製作を
Geng Xiao Gang氏、 David Sayers氏に師事 。
1996年渡伊。
クレモナにて、製作を
Alessandro Voltini氏、
Dario Occhipinti氏、
Dante Fulbio Lazzari氏、
Marcello Ive氏らに師事 。
「クレモナに行って、日本人は絶対にイタリア人にはなれないのだということが良くわかりましたよ。」この言葉を松下さんから聞いたとき、「それだ!」と私は心の中で叫んでいました。それは松下さんの作った楽器に関してずっと思っていた謎が解けたからです。
私は最初に彼の楽器を見たとき、クレモナの新作にはない雰囲気を持った楽器だという印象を強く受けました。 クレモナに行って作っているのにそれは何故なんだろう?私は疑問を持たざるを得ませんでした。
結局その疑問は、前述の松下さん自身の言葉によって明らかになったのです。このヴァイオリンは、自らが日本人であることに正直に、自分の個性というものを大事にして作られたヴァイオリンであるのです。
日本人がイタリアで作ったもので、誰々(著名新作楽器)に似ている、 イタリア新作ヴァイオリンにそっくりと評価されるものはよくあります。しかし、結局のところ、それらの楽器の評価は、「大変○○に良く似ているけれど・・・・ちょっと何かが足りないね。」という否定的なところに落ち着きがちです。
その原因は、日本人の、日本人製作者に対する偏見もあるのでしょうが、松下さんの言葉にある「血」のようなものも影響しているのかもしれません。結局、器用に真似てはみても、根っこのところでは、どうしても判り得ない部分があるのではないでしょうか。彼ら(イタリア人)は、それらを別に意識することなく持ち合わせているのです。
松下さんは、クレモナの伝統の洗礼を受け、その偉大さは感じながらも単なる模倣ではいけないことに気付いたのです。イタリアの良いところは全て吸収し、次にそれを消化し自分のものとして表現していく。それが弦楽器製作にはとても重要なこと。それが彼には判ったのです。
そんな彼が今後はどんなヴァイオリンを作っていくのか大変楽しみです。
松下則幸の製作楽器についてはこちらをご覧下さい。