第1回 いきさつ
私がクレモナに来たのは1996年。 もう4年が経つのかと思うと時間の流れが以前よ り速くなっているように思えます。
思えばここへ来ようと思ったのは94年頃、まだ東京で修行中だった頃です。
この年の11月、癌で闘病中だった母が他界し、それまでは そのこともあってあまり将来のことを考える余裕はなかったのですが、母の死を境にだんだん先々のことを考えるようになりました。
もともと私は手先にはかなり自信があり、子供の頃から手仕事と呼べることはほとんどこなしてきました。しかし、まさ か自分が手仕事を職にするとは思ってもいませんでした。
高校を卒業して上京したのが91年。
はじめのころはこの世界のことは何もわからずただ漠然と仕事をしているといったところがありましたが、2年、3年と経つうちにだんだん自分のしたいことのためにはどう動けばいいのかということがはっきりしてきました。
東京では製作と修理の両方を学んでいたわけですが、私にとっては修理よりも製作の方が楽しく自分に向 いていると思うようになっていきました。おそらくそれは、最初に師事したGeng Xiao Gang氏の影響が大きかったのだと思います。
彼は優秀な製作者であり修理人でもあるのですが、彼の楽器製作に対する姿勢はとても惹かれるものがあり、私を製作の道へとどんどん引きずり込んでいったのです。
東京では製作と修理の両方を学んでいたわけですが、私にとっては修理よりも製作の方が楽しく自分に向 いていると思うようになっていきました。おそらくそれは、最初に師事したGeng Xiao Gang氏の影響が大きかったのだと思います。
彼は優秀な製作者であり修理人でもあるのですが、彼の楽器製作に対する姿勢はとても惹かれるものがあり、私を製作の道へとどんどん引きずり込んでいったのです。
東京で仕事をしていてもう一つ良かったことが、ここには世界中の楽器の情報が入ってくるということでした。
東京には毎日のように名演奏家が来日し、ビジネスとしても世界中からすばらしい楽器が集まります。その結果、ストラド、デルジェズといった歴史的名器から新作楽器まで実に多くの楽器を自ら手にとって見ることができました。
私は居ながらにしてイギリス、イタ リア、ドイツ、フランス、アメリカなどの楽器のスタイルの違い、製作方法の違いを 勉強することができたのです。
そういった多くの楽器の中でも私がいちばん惹かれた のはイタリア、中でもクレモナの楽器でした。
クレモナは他の町に比べて製作者の数も多く、東京でたくさんの楽器を見ることができたということも一因でしょう。
そして、最終的に私がクレモナに渡ることを決断させたのは、前述のGeng Xiao Gang氏 の言葉です。 控えめで理性的な彼は、世界には自分よりすぐれた製作者がまだまだたくさんいることや、自分はクレモナに行きたかったが国籍上かなわなかったという話などクレモナに対するいろんな思いを私に聞かせてくれました。
確かに今日では世界中にすぐれた製作者がいます。Geng氏も間違いなくその一人でしょう。しかし、楽器 のスタイルというのは国籍、地方、流派、そして人によってさまざまです。私がいち ばん惹かれていたクレモナは中でもバイオリンが生まれた町。Geng氏からはまた、ク レモナにはクレモナにしかない楽器の雰囲気があるということも常々聞かされており、それがますます私をクレモナへと導いたのです。
次に師事したDavid Sayers氏 は私の腕を見込んでくれ修理のプロにするべくニューヨークのRene Morel氏の工房 を紹介してくれましたが、私の心はすでに完全に製作の道を歩んでおり、何の躊躇も なくクレモナへ渡ることを決断しました。
しかし、国内で動くのとは違い海外へ出るには多くの時間と準備が必要で、結局クレモナへ渡ったのはなんと1年以上も後のことになりました。