バイオリニストは肩が凝る
鶴我裕子のN響日記
鶴我裕子著 アルク出版企画 1800円
ISBN4-901213-52-0
※文庫版は「バイオリニストは目が赤い」として、新潮社より出版されています
NHK交響楽団ヴァイオリン奏者 鶴我裕子女史によるエッセイ集。
【主な内容】
◆私の音楽修行時代
◆オーケストラの舞台裏
◆カイシャで出会ったマエストロたち
◆N響休憩室
◆マイ・フェイヴァリット
◆裕子の音楽語事典
N響のことを“カイシャ”と呼び、指揮者のことを“人にさらってもらって手柄を横取りするようなバチアタリ”と容赦なく切り捨てる。そんな調子でオケの裏事情、オケマン(ウーマン)のつらさ、喜びなど、歯に衣を着せぬ口調で書きまくる。だが、不快感は0である。それは憎まれ口をたたいてはいるが、筆者の心がオーケストラ奏者としての誇り、音楽への愛情に満ち満ちているからであろう。
◇本文より◇
スペアとは、本番中に誰かの弦が切れたとき、ソレッとばかりに渡すための、応急用だ。「誰かが」弦を切ったといっても、注意をそちらに向けているわけではないので、案外気づかないものだ。若いころは、前の先輩がいやに振り返るな、そんなにヘンな音出しているかな~などと思っていて、「早く、スペア!」と怒られたこともあった。コンマスのが切れたりすると、とろけそうなガルネリが手から手へと渡ってきて、ふるえが来る。
(「良い楽器?悪い楽器?」より)
ヴュータンをスペル通りに読むと「ヴュークステンプス」となる。なぜ、発音通りにアルファベットを並べないのだ、読まないなら書くな、と言いたい。
さて、この曲は、バイオリンを習い始めて8年ぐらいで、ふつうの生徒がもらう初めての大曲である。楽譜から受ける視覚的印象を「フメンづら」と言うのだが、そのフメンづらがおそろしく派手でむずかしそうだ。弾いてみたけれど、やっぱりむずかしい。だがその割りに、案外早く弾けるようになるし、ロマンチックな伴奏もついているので、自分でうっとりすることもできて、楽しい。なんたって、これまでの学生っぽい曲と違って、堂々としているし、カッコいいじゃないか。
(「ヴュータン バイオリン協奏曲第5番イ短調」より)
つまり、オーケストラにおける、サル山のボスです。そういえば、顔も似ていることが多いかな。(中略)
さて、 サル山のボスであれば、会社でいえば社長であろう。当然、ギャラは高い。しかし、この社長のつらいところは、どんなにエラくなっても「チミ、これやっといてくれ」とは言えないことにある。それどころか、率先してお手本を示さなければならないし、トラブルが発生すればまるくおさめ、ダメ指揮者のときは代わって全体をリードするなど、仕事の範囲は際限がない。
(「裕子の音楽語事典」コンサート・マスターの項より )
この続きは本を購入されてからのお楽しみ・・・