ストラディヴァリへの挑戦<< 糸川英夫 >>
日本ロケット開発の先駆者糸川英夫氏が2月21日に亡くなった。
東大工学部卒業後、戦闘機「隼」などの設計を手がける。
東大宇宙航空研究所の教授などを経て組織工学研究所を設立。
一方、チェロを演奏したり、バレエで舞台を踏んだりするなど芸術方面でも活躍し、
音響工学者としてホールの設計なども手がける。
そして氏はまた、45年間かけてヴァイオリンを作り上げたのである。
「ストラディヴァリを超える」という、いわばヴァイオリン製作者のロマンは、最近のイタリア新作ヴァイオリンの
出来栄えを見る限りではどうやら、ストラドの忠実な模倣という形で収束したかのように見えた。
そこに、一人の日本人科学者が「究極のヴァイオリン」作りに挑んだ。
それはイタリアの伝統も何も関係無い、全く斬新なアプローチであった。
芸術を愛する科学者としては当然の成り行きだったのかもしれないがその構造は極めてユニークなものである。
以下、糸川英夫氏自身が自ら語った文章をご紹介しよう。
今まで名器として広く名が知られてきたストラディヴァリウス、アマティ、ガルネリウスなどとの違いは、
通称“バス・バー”と呼ばれている音色構成要素に加えて新しく“ハイ・バー”なるものが備えつけられていることです。
これまでのヴァイオリンは“高音域(E線のハイポジション)が出にくい”という構造上の欠陥がありました。
そしてこの事は最高音域を受けもつ弦楽器としてはたいへん重要な問題でもありました。
ヒデオ・イトカワ号は音響学、振動理論によって世界で初めて輝かしく、かつ逞しく超高域が出せる
ヴァイオリンの改革に成功しました。
さらにもう1つ、弦楽器には経年効果というものがあります。
名器といわれるものはほとんど1700年代に作られています。
この200年余の経年変化を物理的に与えていることも大きな特徴です。
つまり200年間弾かれていたのと同じ振動を与えたのです。
(CD解説より)
八十歳のアリア
にはこのヴァイオリンの開発の経緯が詳しく書かれている。氏はこの本の中でヴァイオリンの本当の客は演奏家ではなく
作曲家であるはずだと唱える。
なぜならばヴァイオリニストは、ヴァイオリンの名曲を楽譜に残した作曲家の思いを我々に伝えるメッセンジャーであるはずであるからである。
という訳で、氏は楽譜を分析、作曲家たちが最も聴衆に聴いてほしい音はわずか四つにしぼられると結論付ける。
そしてこの音がはっきり出るヴァイオリン作りを目指したのである。
まさに科学者ならではの「逆転の発想」である。
ここまで来るとこのヴァイオリンの音を是非聴いてみたくなる。
「至高のE線/中澤きみ子ヒデオ・イトカワ号を弾く」
KICC 164が幸いにも市販されている。私には、氏の言うように「ヴァイオリンは最高音域が弱い」とは考えられない。(むしろ低い音が響かない楽器が多いのではという不満を抱いているぐらいなのだが・・・)
確かにヒデオ・イトカワ号は実演で聴いてもCDで聴いても、E線のハーモニクス奏法など他のヴァイオリンとは違う独特の音であることは感じられる。
普通ハーモニクスというのは、どうしても、透明な音ではあっても、か弱い音になる。ところが、ヒデオ・イトカワ号においては抜けるような輝かしさで迫ってくる感じがする。
ただ、このヴァイオリンが果たして“現代のストラディヴァリウス”足りうるのかについては、もう少しの時間が必要なような気がする。